【ゴジラ音楽”生みの親”】ゴジラに自身を重ねた伊福部 昭氏

「YouTube関連」ネタ

怪獣をモチーフに楽曲制作!

Amvition(アンヴィション)のSUMITOです。

さて今日は…

ゴジラファンのみならず、

日本国民なら1度は耳にしたことがある「ゴジラのテーマ」👇

ゴジラ音楽”生みの親”/ゴジラに自身を重ねた伊福部 昭氏

「ゴジラ-1.0」の大ヒットもあってか、再び脚光を浴びているッ!

そんな“ゴジラサウンド生みの親” 伊福部昭さん。

初代ゴジラ(1954年)の音楽を手掛けられた際、

「ゴジラが自身に似ている」 という運命を感じたそう。

「ゴジラ」の音楽に対する想いは並大抵のものではなかったそうです。

“何故、伊福部さんはゴジラに運命を感じたのでしょうか?”

答えは“伊福部さんが歩んだ人生”にありました。

1914年5月31日、北海道釧路市幣舞に生まれた伊福部さん。

9歳の時、父が音更村村長になったことをきっかけに音更村へ引っ越し、

そこで 、アイヌの歌や踊りをはじめとする伝承古謡、伝統音楽に親しんだそうです。

そして、13歳から作曲をはじめた、という子ども時代。

1935年に作曲した『日本狂詩曲』でパリのチェレプニン賞で1位入賞。

その後も1938年には「ピアノ組曲」ヴェネチア国際現代音楽祭に入選したり、

数々の曲を生み出していく。

戦時中の悲劇

ところが1945年(昭和20年)、31歳のとき。

戦時中、防護服も用意されない中、放射線による航空機用木材強化の研究に携わった結果、被爆してしまう。

この経験があったからこそ、

「ゴジラが自身に似ている」 という運命を感じたそうです。

心に響く伊福部サウンド

伊福部昭さんの音楽はなぜこれほどまでに心に響くのだろうか。

私が子どもの心から変わらず一番好きな曲は

フリゲートマーチ(別名:伊福部マーチ) です。

怪獣大戦争マーチの原型ともいえる本曲。

👇初代ゴジラ(1954)の劇中で聴くことができます👇

  • 16:54ー 大戸島への調査団派遣シーン
  • 29:26- ゴジラに対する爆雷攻撃のため、大戸島西方沖へフリゲート艦隊派遣

初代ゴジラにおける楽曲たちを聴くと、不思議な気持ちになりますね。

非常にノスタルジー。

この作品は1954年公開なので、第2次世界大戦から9年後。

初代ゴジラには“生々しい戦後の記憶”が宿っている気がするんですね。

時代を超えて、胸に響く音楽

戦争当時の状況を私は知りません。

ーが、初代ゴジラの伊福部サウンドを聴くと、まるで戦時・戦後にタイムスリップしたかのような…

不思議な感覚に陥ります。

初代ゴジラの伊福部サウンドに胸を絞めつけられるような不思議な感じを覚えます。

その感覚は子どもの頃よりもむしろ大人になった現在の方がはるかに強い。

「ゴジラ-1.0」は歴代最高傑作である。そして…

2024年の現在。

世界をギャフンといわせている「ゴジラ-1.0」

初代ゴジラから始まり、試行錯誤しながら歴代作品たちが歴史を繋いで、刻んできたゴジラ。

「ゴジラ-1.0」はその先輩作品たちを更に洗練させたような、

文字通り、“世界にドヤれるゴジラ映画になったと思ってます。

私のいま現在の感覚としては“歴代最高傑作”だと思ってます。

(私、個人の感想ですゾ)

「ゴジラ/1954」の魅力は永久に不滅。

だからこそ振り返って欲しい、第1作目「ゴジラ(1954)」

ここにしかないモノが確かにある。

それは戦争を実体験されたスタッフの皆さんの”念”なのか?―

歴代最高傑作の「ゴジラ-1.0」ですら持ち合わせていない、

言葉では説明できない何かがある。

そして、その初代ゴジラを”より特別なもの”へと昇華させたのは、

紛れもなく伊福部サウンドの功績と思っています。

なんだか熱くなっちゃいました。

ぁ、YouTubeチャンネルでは伊福部さん特集もやりました。

ゴジラなら何でもやってます。

だからチャンネル登録、お願いいたしますm(_ _”m) (土下座)

以上!

最後に。

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YouTubeチャンネルを運営しております。

数百本以上のゴジラを中心とした怪獣ネタを公開し続けております。

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